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浦和地方裁判所 平成4年(ワ)1454号 判決

原告

霜田進

霜田孝

右両名訴訟代理人弁護士

村上愛三

会田哲也

右両名訴訟復代理人弁護士

三好高文

被告

医療法人社団純真会

右代表者理事長

秋谷行男

右訴訟代理人弁護士

宮澤潤

主文

一  原告らの請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一  請求

被告は、原告ら各自に対し、金三二五六万七〇二七円及びこれに対する平成四年一一月一二日から支払済みまで年五分の割合による各金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、亡霜田かづ子(以下「かづ子」という。)が、昭和六二年一二月二五日に、被告の開設経営するせんげん台病院(以下「被告病院」という。)において、胃癌の切除手術を受けたものの、その後胃癌が再発し、平成三年一月三一日に死亡したことについて、かづ子の遺族である原告らが、被告に診療契約上の債務不履行に基づく責任があるとして損害賠償請求をしている事案である。

なお、本件は、かづ子の昭和六二年一二月三日の初診から昭和六三年一月一九日に退院するまでの間の診療録及び平成元年一二月三日以前の外来診療録が見つからず、証拠として取調べられないという特殊な事案である。

二  前提事実(明らかに争いがない事実以外は、句点の前に表示した証拠により認定した。)

1  原告霜田進(以下「原告進」という。)は、かづ子の夫であり、原告霜田孝は、かづ子の長男である。

2  かづ子は、胃に不快感を覚えたことから、昭和六二年一二月三日、被告が開設経営する被告病院で診療を受け、同日、被告との間で、かづ子の身体に病的異常症状があれば、これを医学的に解明し、その原因ないし病名を的確に診断した上、その症状に応じた適切な手術、治療を行うことを内容とする診療契約を締結した。

3  かづ子は、同年一二月一八日、被告病院での内視鏡検査の結果、胃癌が発見されて直ちに入院となった。入院当日、かづ子は、腹部膨満感、胃痛、吐き気を訴えており、翌一九日には、嘔吐した(乙七)。

4  かづ子は、同月二五日に幽門側胃切除の手術を受けた。原告進は、手術後、被告病院の秋谷行男院長(以下「秋谷院長」という。)から、「胃癌を取り除いてリンパ腺を掃除した。胃癌の程度が重くいつまでもつか分からない。」との説明を受けた(甲二、原告進本人)。

5  原告進は、かづ子が比較的順調に回復していたので、かづ子を大部屋に移したいと申し出たところ、秋谷院長から「早く退院しないと退院の機会を失うかもしれない。」と勧められて、昭和六三年一月一九日、かづ子を退院させた(甲二、原告進本人)。

6  かづ子は、退院後も週に一回の割合で被告病院に通院し、胃内視鏡検査(胃カメラ)、超音波断層撮影検査(エコー検査)の検査等による経過観察をされていたが、その間、秋谷院長は、一度原告進に対し、癌転移の可能性があることを伝えたほかは(実際は血清肝炎であり、まもなく治癒)、かづ子に対し、毎回いずれも、異常無し、良好な結果であると繰り返し答えていた。

7  また、かづ子は、同年五月ころ、婦人科検診をして欲しいと秋谷院長に依頼したが、秋谷院長は、婦人科検診の必要があればいつでも病院を紹介すると言っただけで、婦人科検診を行わず、また、婦人科の病院を紹介することもしなかった。

8  かづ子は、平成元年一一月下旬、下腹部にしこりができ、痛みが生じたことから、同月二八日、菊池産婦人科医院で子宮癌の検査を受け、卵巣腫瘤を指摘され、春日部市立病院で更に詳しく検査したところ、転移性卵巣癌(クルッケンベルグ腫瘍)であることが判明し、同年一二月一八日、春日部市立病院で、膣上部切除術及び両側附属器切除術を受けた(甲二、三、原告進本人)。

9  かづ子は、同月二八日に春日部市立病院を退院し、再び被告病院に通院して経過観察されたが、平成二年八月、内視鏡検査の結果、胃にポリープがあることが発見され、被告病院の武田医師により同年九月一一日にその摘出手術を受けた。しかし、既に手の施しようもないほど腸、膵、肝臓とその周辺部に米粒大の癌が転移していたことから、抗癌剤を投与されただけでそのまま閉腹された。

10  かづ子は、同年一〇月一三日に被告病院を退院したものの、同年一二月八日再入院し、平成三年一月三一日、死亡した。

11  原告進は、かづ子の死亡後、一年余り経過した平成四年三月ころ、秋谷院長にかづ子の診療経過につき説明を求める手紙を送り、これに応じて来訪した秋谷院長から説明を受けたが、納得することができず、同年七月、浦和地方裁判所越谷支部に診療録等の証拠保全による検証を申し立て、同月二二日に右検証が実施されたが、初診時の昭和六二年一二月三日から第一回手術退院時までの診療録及びX線写真並びに平成元年一二月三日までの外来診療録については、見つからないとして提示されず、検証することができなかった(甲二、検証、原告進本人)。

三  争点(原告らの主張)

1  責任原因

(一) 胃癌切除手術について

かづ子は、内視鏡検査により胃癌が発見されたことから、昭和六二年一二月二五日、被告病院にて幽門側胃切除の手術を受けたが、その手術の際、被告がかづ子の癌細胞を完全に取り除くことができなかったことから、その後吻合部から癌が再発し、かづ子は死亡するに至った。すなわち、

(1) 胃癌の根治手術を行う際には、癌の再発、転移を防ぐため、胃全摘及び他臓器合併切除を含め、正常と思われる部位まで十分に切り取る必要がある。

したがって、被告は、かづ子の胃を全摘するなど正常と思われる部位まで十分に切り取り、癌の再発、転移を防ぐ術式を選択すべき義務があった。

(2) それにもかかわらず、被告は、かづ子の幽門側胃切除を行ったのみで、胃全摘及び他臓器合併切除術を選択しなかったことから、癌細胞を完全に取り除くことができず、その部分から癌が再発したのであるから、被告は癌の術式の選択を誤ったものである。

(二) 免疫化学療法について

被告は、かづ子の幽門側胃切除の手術を行った後、抗癌剤を充分に投与しなかったことから、その後癌が再発し、かづ子は死亡するに至った。すなわち、

(1) 抗癌剤の投与方法としては多剤併用療法と大量間欠投与法とが、少量持続投与法よりも効果が大きく、副作用も少ない。

したがって、被告はかづ子に対し、充分な量の抗癌剤を投与すべき義務があった。

(2) それにもかかわらず、被告はかづ子に対して、癌の再発を防ぐのに必要かつ充分な量の抗癌剤を投与せず、少量の抗癌剤しか投与しなかったことから、かづ子の癌が再発したのである。

(三) 術後の経過観察について

被告は、かづ子の幽門側胃切除の手術を行った後、かづ子から婦人科検診の申し入れがあったにもかかわらず、必要な場合は婦人科を紹介するからと言うのみで、故意に婦人科検診を行わなかった。それのみならず、被告は癌の転移を発見するための適切な検査を行うこともなかった。それらの結果、癌の再発の発見が遅れ、かづ子は、死亡するに至った。すなわち、

(1) 胃癌の場合、卵巣に転移する危険性が極めて高く、女性の場合は婦人科の検診は必要不可欠であることから、被告は、婦人科検診を実施し、癌の再発を早期に発見し、治療すべき義務があった。更に、被告自身癌の転移の状態を知り、再発を早期に発見するために適切な検査を行うべき義務があった。

(2) しかし被告は、かづ子から婦人科検診の申し入れがあったにもかかわらず、故意に婦人科を紹介せず、被告自身も婦人科検診を行わなかった。そして、かづ子の下腹部に、原告進が触っても分かるようなしこりが生じていたにもかかわらず、触診さえ実施せず、そのしこりを見落としていたのである。更に被告は、内視鏡検査や超音波断層撮影検査という癌の転移が分からない検査方法しか行っていなかったのであり、医師として最善の治療、適切な検査、治療を欠いていたものである。

2  説明義務違反について

秋谷院長は、昭和六二年一二月二五日の第一回目の手術後、原告進に対し、かづ子の回復の見込みについて、「いつまでもつかわからない」と説明する一方、「良くなれば(病名を)話してやればよい」と言うなど不明確かつ矛盾した説明しかしなかった上、かづ子の癌の程度については何ら具体的説明をしていない。

また、右手術後かづ子が退院する際には、原告進に対し、「今退院しないと退院の機会を失う」と説明する一方で、「退院させて自信をつけさせる」と言うなど極めて曖昧な説明しかしておらず、更に、経過観察中も、原告進がかづ子の病状について説明を求めたにもかかわらず「いいんじゃないですかね」等と言うのみで、何ら具体的な説明をすることはなかった。

3  期待権侵害について

かづ子は、被告とのあいだに診療契約を締結したことにより、癌の転移を早期に発見し、早期の治療を受ける機会を得ることを期待していた。それにもかかわらず、被告は、かづ子から婦人科検診の申出があったのに、明確な説明もなく検診を行わず、癌の転移を見過ごし、さらに、かづ子の癌の再発の発見、防止について、医師として最善の治療を行うという義務を放棄していたことから、かづ子は、被告の右債務不履行によりこの期待権を侵害され、適切な治療を受ける機会を喪失したものである。

4  診療録の不存在について

被告は、かづ子の昭和六二年一二月三日の初診から昭和六三年一月一九日に退院するまでの間の診療録及び平成元年一二月三日以前の外来診療録を保管しておらず、これは原告らに対する証明妨害である。

5  損害(原告ら各自三二五六万七〇二七円ずつ)

(一) 逸失利益

かづ子は死亡時満四三歳の女子であり、満六七歳に達するまでなお二四年間稼働が可能であった(ライプニッツ係数は13.7986)。

生活費控除率を主婦の場合は三〇%とし、かづ子が死亡した平成三年度の女子の平均賃金センサスのうち、女子学歴計年収は、二九〇万三〇〇円である。

したがって、かづ子の逸失利益は、次のとおり二八〇一万四〇五五円である。

2,900,300×(1−0.3)×13.7986=28,014,055

よって、原告らは、右金員の二分の一(一四〇〇万七〇二七円)ずつを、それぞれ相続により取得した。

(二) 亡かづ子の慰謝料

二〇〇〇万円(原告ら各自一〇〇〇万円ずつ相続)

(三) 原告ら固有の慰謝料

原告ら各自五〇〇万円

(四) 葬儀費用

一二〇万円(原告ら各自六〇万円ずつ負担)

(五) 弁護士費用

五九二万円(原告ら各自二九六万円ずつ負担)

四  争点に対する被告の主張

1  責任原因

(一) 被告病院に勤務する小林寛医師(以下「小林医師」という。)は、昭和六二年一二月二五日、かづ子の胃癌切除の手術を行ったが、開腹した結果、胃癌そのものは前庭部に限局していたものの、胃癌以外にも既に腹膜播種性転移が存在し、大網の表面、横行結腸、腸間膜の中でも主として空腸の腸間膜の所に転移しており、進行性の末期癌であることが判明した。

そこで、もはや癌を遺残させない手術は不可能な状態であったが、胃癌自体は前庭部に限局していたことから、原発巣を取り除けば少しでも予後が良くなると判断し、原発巣から十分余裕を見て、前庭幽門部を切除したのである。

そして、右摘出した胃を病理検査したところ、断端部は陰性であったから、原発巣である胃癌は完全に摘出できたのである。

以上のことから、被告に術式の選択に誤りはなかったのであり、胃癌の場合、その時の状態でどのような切除をするか判断すべきであって、むやみに胃全摘をすることは患者の予後の生活に非常に苦痛を伴うものであることから、胃全摘が常に適正な術式であるとはいえないのである。

(二) 抗癌剤は副作用が強く、ただ闇雲に多剤を併用したり、大量に投与すればよいというものではなく、患者の全身状態を考慮すべきものである。

かづ子の場合、副作用を考慮し、比較的副作用の少ないフトラフールを投与したのであり、その結果かづ子の体力が回復したことからも、抗癌剤の投与方法は適正であった。

(三) 通院治療中、かづ子から、生理が来ないから婦人科検診をしてほしいという申し入れがあったが、かづ子に対しては癌であることの告知はしておらず、生理が来ない原因が抗癌剤の影響であることは明らかであったことから、かづ子に詳しく説明することなく、婦人科検診の必要性はないものと判断したのである。

2  診療録の不存在について

被告病院の秋谷院長は、原告進の要請に応じて、何度も被告病院において同人に面接しただけでなく、同人の自宅にまで行って病状経過等を説明したのである。そして、秋谷院長は、同人に説明するために、その度毎に診療録を保管場所から持ち出し、その後返却するということを繰り返していたため、ついにその診療録を紛失してしまったのである。

したがって、証明妨害ではない。

第三  争点に対する判断

一  かづ子の死亡に至る経緯

前提事実並びに証拠(甲二、三、乙一、三、五、七、一一ないし二一、原告進本人、被告代表者)によれば、次の各事実が認められる。

1  かづ子は、昭和六二年一一月下旬頃、胃に不快感を覚えたことから、同年一二月三日から被告病院で診察を受けるようになった。

被告病院の小山優医師は、同月一八日、かづ子の胃の内視鏡検査を行って、「胃の前庭部の前壁に粘膜下結節状の腫瘤があるが、中心に深い潰瘍を持ち、全体に硬く、小彎の短縮と幽門輪の狭窄が起こっている。」と確認し、進行癌のボールマンⅡ型胃癌又は肉腫であると臨床診断した。そこで、かづ子は、緊急に手術を要するものとして、即日、被告病院に入院することとなった。なお、その際採取した胃粘膜細胞についての病理検査による診断は、「壊死物を伴う胃粘膜が採取されており、一部に印環細胞癌を疑わせる像が見られるが、確定診断ができない」とされた。

かづ子は、入院当日、腹部膨満感、胃痛、吐き気を訴えており、翌一九日には、嘔吐した。

2  かづ子は、同月二五日、被告病院の小林寛医師の執刀により胃癌の摘出手術を受けた。小林医師が開腹したところ、胃癌そのものは幽門部に限局していたものの、粟粒大のリンパの腫れが播種状に大網、腸間膜や小腸の漿膜に広がっていることが確認された。小林医師は、胃の全摘はせず、原発巣から約三、四センチの余裕をもって幽門側胃切除術(胃亜全摘術)を行なった。

3  被告は、切除した胃の病理検査をさせたところ、昭和六三年一月三〇日ころ、「スキルスタイプの低分化腺癌であり、癌巣は浸潤性の増殖を示し、周囲組織との境は不明確である。さらに、癌の深達度はse(癌浸潤が漿膜に接しているか、またはこれを破って腹腔に露出している場合)であり、浸潤は一部漿膜周囲の繊維脂肪組織まで波及しているが、リンパ、血管浸潤はない。摘出辺縁部は口側、肛門側とも陰性で癌細胞を認めないが、口側、肛門側とも断端付近まで浸潤している。」との報告を得た。

4  秋谷院長は、手術終了の約一時間後、原告進に対し、かづ子の病状について「胃癌を取り除き、リンパ腺を掃除したが、胃癌の程度が重くいつまでもつか分からない」「一年はもたないだろう」と説明をした。

5  秋谷院長は、術後のかづ子の病状経過が比較的順調だったことから入院療養を希望する原告進に対し、「早く退院しないと退院の機会を失うかもしれない」と説明し、昭和六三年一月一九日、かづ子は被告病院を退院した。

6  かづ子は、退院後も被告病院に週に一回程度通院し、抗癌剤の投与を受け、また、毎回触診等の診察を受け、同年五月一七日には内視鏡検査及び超音波断層撮影検査を、同年六月二三日には内視鏡検査を受けて経過観察をされていたが、被告病院から異常を指摘されることはなかった。かづ子は診察の度に、秋谷院長に自らの病状について質問し、また原告進も、昭和六三年六月頃から平成元年一〇月頃にかけて、何度か一人でかづ子の病状を尋ねているが、秋谷院長は毎回「いいんじゃないですかね」と述べる等具体的説明はないものの、経過は良好である旨説明していた。

7  かづ子は、昭和六三年五月ころ、生理がなかったことから、秋谷院長の診察を受けた際、秋谷院長に対し、婦人科検診をしてくれるように申し出た。しかし、かづ子に対しては、抗癌剤であるフトラフールが、一、二週間に一度の割合で投与されていたことから、秋谷院長は、生理がないのはこの抗癌剤の影響であると判断し、自ら婦人科検診を行わなかったし、他に婦人科を紹介することもしなかった。

8  その後も、かづ子は、一週間に一度、あるいは二週間に一度の割合で被告病院に通院していたが、平成元年一一月下旬になって、下腹部にしこりができ痛みが生じたことから、被告に対する不信感もあり、同月二八日、菊池産婦人科医院で診察を受け、同年一二月二日の子宮癌検診の結果、卵巣腫瘤を指摘され、春日部市立病院の東郷医師を紹介された。

9  かづ子は、同年一二月五日春日部市立病院で診察を受けたが、その際、ダグラス窩に手拳大二個分の凸凹不整の硬い腫瘤を触知されたことから、転移性卵巣癌(クルッケンベルグ腫瘍)であると診断され、同月七日、同病院に入院し、同月一八日、膣上部切断術、両側附属器切除術を受けた。

右手術時の開腹所見では、癒着はほとんどなく、腹部は比較的きれいで、腹腔には連続性の浸潤は認めず、また、播種性の癌性腹膜炎等は認められず、リンパ節や大網も異常がない、とされている。しかし、右手術の際に採取した腹水には異常なかったものの、摘出された子宮体部及び両側附属器を病理組織検査した結果、印環細胞を認める低分化腺癌であることが判明した。

10  右手術により、かづ子の転移性卵巣癌自体は完全に取り除くことができ、手術後の経過も順調であったことから、かづ子は、東郷医師から術後の経過観察を再び秋谷院長にしてもらうように勧められ、同月二八日、春日部市立病院を退院した。

11  その後、かづ子は、平成二年八月二日、被告病院で超音波断層撮影検査及び胃内視鏡検査を受けたが、胃内視鏡検査の結果、胃に山田I型のポリープが確認され、さらに病理組織検査の結果、印環細胞癌であると診断された。

そこで、かづ子は、同月三〇日、被告病院に入院し、九月一一日、武田寿医師の執刀の下、開腹手術を受けたが、既に胃を中心に八センチメートル×六センチメートル×四センチメートルの大きさの主腫瘍があり、腹壁、肝、横行結腸、十二指腸に直接浸潤が見られ、その周辺部には米粒状の癌が大小となく転移しており、病巣摘出手術は不可能であったことから、抗癌剤であるマイトマイシン(MMC)を一〇ミリリットル注入したのみで、そのまま閉腹した。

右手術後、かづ子は一〇月九日に一度退院したものの、一二月八日には腹痛、腰痛のため再度入院し、平成三年一月三一日死亡した。

二  以上の認定事実を前提に、被告の責任原因の有無について検討する。

1 術式の選択について

(一)  前一1ないし3の事実によれば、昭和六二年一二月二五日の第一回手術時のかづ子の癌は、既に浸潤が一部漿膜周囲の繊維脂肪組織にまで波及し、癌浸潤が漿膜に接しているか、またはこれを破って腹腔に露出している状態であり、粟粒大のリンパの腫れが大網、腸間膜、小腸などの漿膜等にかなり広範に広がっていたというのであるから、いわゆる早期癌ではなく、進行癌のなかでも一部に深い浸潤が認められるボールマンⅡ型ないしⅢ型に属するものであったことが認められる(もっとも、粟粒大のリンパの腫れが大網等の腹部の相当範囲に点在していたというのは、カルテが紛失しているから、被告代表者の供述に頼らざるをえないわけであるが、前記のように切除した胃の病理検査によれば、浸潤が粘膜から一部漿膜周囲の繊維脂肪組織にまで深く波及し、癌浸潤が漿膜に接しているか、またはこれを破って腹腔に露出している状態であることが発見されていること、秋谷院長が手術直後に胃癌の程度が重く、いつまでもつか分からない、一年はもたないだろうと説明したことからすれば、その信用性を肯定できるというべきである。なお、昭和六二年一二月の第一回目の手術から約二年後に行われた。春日部市立病院における転移性卵巣癌の手術の際の開腹所見では、かづ子の腹腔に連続性の浸潤や播種性の癌性腹膜炎等は認められず、大網も異常がないとされていることは前判示のとおりであるが、右は原発巣である胃癌部位とその周辺のリンパ節を切除し、その後抗癌剤を投与した結果であるとも考えられるから、右記載をもってしても前記認定を左右するものではない。ただし、幽門側胃切除術により摘出された胃組織の断端部が、口側、肛門側とも陰性であったことから、胃癌そのものは前庭幽門部に限局していたものと推認される。)

(二)  術式について

右(一)で認定したとおり、かづ子の胃癌は前庭部に限局していたこと、摘出された胃組織は、断端部付近まで浸潤していたものの、断端部は口側、肛門側とも陰性であったことから、被告の行った幽門側胃切除術によって、かづ子の胃癌そのものは完全に取り除くことができたものと認められる。

また、本件の場合、最初の開腹手術の段階で粟粒状のリンパの腫れが大網、腸間膜に発見されているが、他の臓器を合併して切除すべきかどうかは、癌の局所所見、患者の全身状態など医師の総合的・専門的判断に委ねられるべきところが大きく、被告代表者の供述によれば、被告病院医師は、かづ子の癌は胃癌自体は限局的であったとしても、周囲のリンパの腫れなどからいずれ周囲の臓器への転移は避けられず、しかも、その転移の範囲も広範囲であることが予想されたため、臓器の一部分あるいは、臓器の一種類に限定して合併切除することは困難であったこと、胃を全摘し、さらに他臓器の合併切除をするときは、かえって予後の生存を困難にするものであることが認められるところ、そのような事実認識、判断に基づき、胃の全摘をせず、他の臓器の合併切除をしなかったことが不相当であったということはできない。

ところで、原告らの主張は、被告が、第一回手術において、胃を全摘し、さらに可能なかぎり広範に他臓器合併切除を行なっていれば、かづ子の癌再発はなかったとの前提によるものである。しかし、かづ子の癌が早期癌ではなく、既に転移が予想されるかなり進んだ癌であることは、摘出された胃の病理検査の結果及び手術直後の秋谷院長の発言からみても、容易に認定することができるのである。そうであれば、そのような癌について、胃を全摘しさえすれば癌の再発がなかったと推認することは到底できないのであり、また、他臓器まで合併切除することは、かづ子のその後の生存、生活に重大な影響を及ぼすことは前判示のとおりであるから、被告病院医師にとって、第一回手術時に、そのことも考慮した上で、癌の再発可能性を絶つような的確な他臓器合併切除の選択が可能であったと認めるに足りる証拠はないのである(この判断は、仮に、前記(一)で認定した「第一回手術時に、かづ子の腸間膜等に粟粒大のリンパの腫れが確認された」との事実がなかったとしても、維持しうるものである。)。

なお、原告進は、被告病院に勤務していた武田医師からかづ子の胃癌は初期のものであり、第一回目の手術の際には胃を全摘すべきであった旨の説明を受けたと供述しているところ、右発言があったこと自体明らかではないが、仮に武田医師が右発言を原告進にしていたとしても、かづ子の癌が、早期癌ではなく、相当進行の進んだ進行癌の中のボールマンⅡ型ないしⅢ型と認めるべきことは前記のとおりであり、右発言を前提としても、被告には胃を全摘すべき義務があったものと認めることはできない。

(三)  以上のとおりであって、本件において被告が行った、かづ子の胃癌の切除術の術式の選択に誤りがあったとはいえず、その採用した術式が被告とかづ子との治療契約上の債務の本旨に反するものということはできない。

2 免疫化学療法について

甲四号証、被告代表者の供述によれば、未だ抗癌剤の効果は不確実であり、その投与方法も確立されていないことが認められるのであり、原告らにおいても、一般的医療水準として確立された抗癌剤の投与方法がどんな内容であるかについて、具体的な主張立証がない。

そして、原告進本人の供述のうち、春日部市立病院の東郷医師が、「もっと抗癌剤を強く使うべきだった」と言ったことが信用しうるとしても、右発言のみでは、具体的にどのように投与すればよかったのかは明らかでないばかりか、右のような発言をしながら同医師は、卵巣癌手術後の経過観察を被告病院に託しているのであって、してみると、右発言をもって被告の抗癌剤の投与方法が一般的医療水準に照らし不適切かつ不十分なものであったと推認することは到底できない。

したがって、被告のかづ子に対する抗癌剤が不適切であったとは認められない。しかも、もっと抗癌剤を強く使うことにより、かづ子の癌再発を防止することができたということ自体、これを認めるに足りる証拠はないのである。

3 術後の経過観察について

(一)  一般に、医師は診療に際し、その当時の一般的医療水準に基づいて患者の病状の把握に努めるべき義務があるというべきところ、被告がかづ子を定期的に診察していた主たる目的は、かづ子の胃癌が再発や転移を来した場合にこれを早期に発見することにあったことは明らかであるから、被告にはかづ子が通院していた当時の一般的医療水準に基づいて適宜相当な診察を行い、必要な場合には相当な検査を実施して右早期発見に努めるべき注意義務があったものというべきである。

(二)  ところで、原告らは、胃癌は卵巣に転移する危険性が高いのであるから、被告には婦人科検診をすべき義務があったにもかかわらず、かづ子に対し婦人科検診を実施しなかったという注意義務違反があった旨主張する。

甲一号証、被告代表者の供述によれば、胃癌の場合、卵巣に転移する危険性があることは認められるが、胃癌の手術後の経過観察中必ず婦人科検診を実施すべきであるという一般的医療水準が確立されていたと認めるに足りる証拠はないから、右の事実に留意して適宜相当な診察、検査を行えば足りるものと解される。

しかし、かづ子の通院期間中、被告自身が卵巣等への転移を疑うべき症状を発見した場合は勿論のこと、かづ子から卵巣等への転移を疑わせる訴えがあった場合や、右のような具体的症状の訴えはない場合であっても、かづ子から体調の悪化を理由に婦人科検診の申し入れがあったような場合には、その体調の悪化が癌の転移以外の原因によるものと合理的に認められるような場合を除き、婦人科検診を実施すべき義務があったものと解するのが相当である。

(三)  そこで本件を見るに、かづ子が昭和六三年五月ころ、秋谷院長の診察時に、生理がないことを理由に婦人科検診を申し出たのに対し、秋谷院長は、生理のない理由は抗癌剤フトラフールの影響であると判断して、婦人科検診をさせず、婦人科を紹介しなかった点については、かづ子の検診申出の理由が生理がないことにあった以上、その検診の必要性がないとの判断は合理性が認められる。

次に、かづ子は、平成元年一一月末頃、下腹部に痛みとしこりを感じ、春日部市立病院において転移性卵巣癌であると診断されたのであるが、それまで、被告病院では、婦人科検診を実施していなかった点が問題になる。しかし、甲一号証によれば、転移性卵巣には特有の症状はなく、大きくならないと発見が困難であり、その進行も急速であるとされていることが認められ、また、甲二号証、乙一一号証、原告進本人、被告代表者の各供述によれば、かづ子は、自ら下腹部のしこりに気が付いて、すぐに産婦人科医を受診したことが認められるのであり、さらに、春日部市立病院での手術の結果、腹腔への浸潤は見られず卵巣癌自体はきれいに取り除くことができたのであってみれば、かづ子の転移性卵巣癌は比較的早期のものと推認することができる。そうであれば、被告がかづ子が気付く前に、その訴えもなしに、被告がかづ子の下腹部のしこりを発見すべきであったし、発見することができたということはできず、その発見がないのに、婦人科検診を実施すべきであったということはできない。しかも、右の経過からすると、被告が婦人科検診を実施すべき義務を怠ったために、癌の転移の発見が遅れたものということもできない。

(四)  また、かづ子の右卵巣癌は、春日部市立病院における手術によって完全に取り除くことができたのであるから、右卵巣癌の発見が遅れたことによってかづ子が死亡したという関係にはなく、両者の間には、そもそも因果関係がないものといわざるをえない。

(五)  なお、その他に原告らは、被告が医師として最善の治療、適切な検査、治療をすべき義務に違反したと主張するが、一般的医療水準に照らしいかなる治療、検査をすべき義務が存在するかにつき、具体的な主張はなく、主張自体失当であり、本件全証拠をもってしてもこれらの点を解明することができず、結局その立証もないものというほかない。

4 説明義務違反について

(一)  原告らが主張する説明義務とは、治療行為を行うに先立って患者の承諾を得るために行われる説明や、診療行為としてなされる説明(医師法二三条参照)等の診療契約の内容をなす説明義務とは異なり、診療経過を報告するための説明、いわば納得のための説明義務とでも言うべきものであり、このような説明義務は、診療契約の内容をなすものと解することはできず、診療契約上の債務の履行に付随する義務に過ぎないものと解するのが相当である。

(二)  そこで本件を見るに、第一回目の手術では、かづ子の胃癌自体は前庭部に限局しており取り除くことができたものの、いつ癌が再発、転移するか分からない状況にあったところ、少なくとも、秋谷院長は、原告進に対し、手術直後に、「胃癌の程度が重く、いつまでもつか分からない。」「一年はもたないだろう。」と説明し、かづ子の退院時には「早く退院しないと退院の機会を失うかもしれない」と説明しているのであり、原告進本人の供述するとおり、それ以上の説明がなかったとすれば、被告の説明は具体性を欠くものというべきではあるが、少なくともかづ子の予後が甚だ不良である旨の説明はなされているのであり、しかも、原告進本人の供述によれば、原告進は右のような重大な事実を説明されながら、それ以上の具体的説明を強く求めなかったことが認められるのである。

原告進本人は、その際、秋谷院長が原告進に対し、「よくなったら病名を話してやればよい」「退院させて自信を付けさせる」との発言をしていたと供述するが、仮にこれが信用しうるとしても、予後が甚だ不良である旨の右発言と比較し、かつその場の状況に鑑みると、秋谷院長の右発言が、原告進を元気づけるためのものであることは明らかであり、この点をとらえて秋谷院長の病状説明が曖昧であったということはできない。

さらに、秋谷院長は、退院後の経過に関し、原告進の質問に対して、特に具体的説明もなしに「いいんじゃないですかね」と答えているが、当時かづ子の病状が安定しており、検査の結果特に異常が認められなかった以上、これをもって説明が不十分であるとはいえない。

5  期待権侵害について

先に認定したとおり、被告かづ子に対し婦人科を紹介せず、自らも婦人科検診を行わなかったという点については、被告の判断に合理性が認められ、また最善の治療を受けることができなかったという点については、一般的医療水準に照らして具体的にいかなる治療をすべき義務があったかにつき、原告らに主張、立証がないことから、結局、期待権侵害の前提となる被告の債務不履行行為がなく、原告らの主張は認められない。

6  診療録の不存在について

故意または過失により、信義則に反する証明妨害行為を行った場合には、証明妨害行為の対象となった証拠方法の当該訴訟における重要性の程度、証明妨害をした者の有責の程度、他の証拠資料による心証等を総合的に考慮した上で、裁判所の自由裁量により、当該証拠方法の性質、内容についての挙証者の主張事実を真実と認定しうる場合もあると考えるべきである。

そこで本件を見るに、被告は法令上保存が義務づけられている診療録を、しかも、原告からその診療行為につき疑問を提起されている矢先に、紛失し、しかも、被告代表者の供述によれば、どのような事情でこれが紛失したかすら全く分かっていないことが認められるから、被告には、右診療録の紛失につき、少なくとも過失があると認められる。そして、診療録は、法律上作成、保存が義務づけられているものであり(医師法二四条参照)、保存されていれば提出命令の対象となりうる証拠であることから、被告が右診療録を紛失したことは、信義則に反する証明妨害行為に当たると解すべきである。

しかし、かづ子の死亡後秋谷院長は原告進らにかづ子の病状につき説明し、原告進宅にも説明のため訪れているのであり、内視鏡検査の結果や看護記録等診療録以外の証拠は存在していることからすると、診療録の紛失につき、被告には過失は認められるものの、故意があったとまでは認めることはできないのであり、さらに、かづ子の当時の病状を知るのに、診療録は最も重要な証拠ではあるが、本件については、診療録以外の証拠からも、かづ子の病状につき相当程度客観的に事実認定が可能な場合であるということができる。これらの事情に鑑みると、被告の過失による証明妨害行為があるからといって、当該紛失した診療録の内容が、全て原告らの主張するとおりであったと認定してよい場合に当たるということはできない。

したがって、診療録の不存在という事実を考慮してもなお、被告には診療契約上の債務の本旨に反する行為があったと認めることはできない。

三  以上述べてきたとおり、被告にかづ子の診療に関し、診療契約上の債務不履行があったと認めることはできないから、その余の点について判断するまでもなく、原告らの本訴請求は理由がない。

(裁判長裁判官小林克已 裁判官豊田建夫 裁判官松下貴彦)

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